ひびわれろぐ

いつ割れるかわからない、ひび割れそうな日々我ログ。

私と母親の話

先日、私の家に母から野菜が届きました。
母曰く『メンタル不調の時は野菜でも食って元気出せ』とのことでしたが、段ボールひと箱分は多すぎるよ…。

私と母親の話

私の両親は離婚しており、母は再婚してから多分20年ぐらいになります。
多分、というのは正直私自身距離を置いていた時期があったからよく覚えていないのです。

「子はかすがい」とも言うけれど、最後にこれを壊したのは私だという自覚があります。
母は私が高校の頃、看護学校に通っており、卒業後念願であった看護婦(当時の表記)になるために地元から愛知へ行ってしまい、それから2年くらいした後、突然父宛てに離婚届が届いたのです。

からしてみれば寝耳に水な話だったのでしょう。
どうもこの結論に至った理由が一つではないようで、父親がギャンブルばかりしていた(当時は毎日パチンコ通いで、閉店後にならないと帰ってこなかった)事や、母がやりたいと思ったこと、相談した事等を全く聞いてくれなかったこと…というのが積もり積もってこういった結論になったようです。

この離婚、裁判になったりはしなかったのですが、決着がつくまでだいぶ時間がかかりました。
何年かかったか正直覚えてはいないのですが、最後に私も含めて話し合いをした時に、父に「ここまで気持ちが離れてしまうような事になったのだから、もう判を押すしかないんじゃない」と言ったと思います。
最後の話し合いの後、母を駅まで送ったのですが、その時に「気持ちはわかるのだけど、やり方が卑怯だ、それに私と弟を置いて出て行った事は私は許さない」と伝えました。

そのまま、駅まで送って別れました。

ちなみに父はその後肺炎になり、これまで吸っていたたばこもやめ、パチンコ通いもしなくなりました。

母は再婚したのですが、後から再婚した人とは、仲良くはなれませんでした。
親子がどうのとかでなく、なんか合わないのです。嫌っている訳ではないのです。
どうやら弟とは今も仲がいいようなのですが。

私が就職した後に金銭的に余裕が出来た頃、株式投資を勧められたこと(こちらは真面目に当時考えておくんだったなあ…)と、副業はした方がいいと言われてア〇ウェイを勧められたのを根に持っている訳ではありませんが、多分あのあたりから仲良くなれなかったんじゃないかと思います。

※当時はまだ時間に余裕もあったので、副業自体は良かったと思うのですが、あの手法のビジネスの仕方は私には出来なかったのです。

その後、彼がうつを患うまで(多分10年ぐらい…?)彼の方とは一言も話をした事がありませんでした。
母も含めて、引っ越したいとか言われた時に「引っ越さずに今のところで仕事に就きなおした方が『私にとって都合がいい』し、無理矢理環境を変えない方がいい」と返したのも、もう4年ぐらい前の話です。
決断をミスってもこれなら私のせいに出来るしね。

とはいえ、それからは一度も話していません。
そんな彼もあちらで(業種を変えずに)転職して元気にやっているようです。

そういった事もあっていい思い出ばかりではないのですが、社会に出た後で大変だった時期に助けてくれたのは母でした。

愛知に住んでいた頃はちょくちょく一緒にマンガ喫茶へ行ったりしたものだけど、私が当時いた会社から転籍する事となり、引っ越してからはなかなかそうもいかなくなりました。

母が子どもの頃は今のような洋菓子もなく、おやつと言えば芋ばっかりだったというのですが、今や洋菓子より焼き芋の方が高いじゃないか…と思いながら、焼き芋を食べています。

おわりに

たばことギャンブルはやらない方が良い、私自身父親を反面教師としたのがこの2点です。

パチンコは一度だけ友達と付き合いで行った事があるのですが、2千円が数分で溶けた時にヤバさを感じました。そもそもギャンブルなんて胴元が一番強いのです。

他人がたばこを吸う事そのものにはなんとも思わなかったりします。目の前で吸われても気にしないのは割と小さい頃から耐性があるのかもしれません。

休憩の時、喫煙者同士のコミュニケーションで得られるものがあったりなかったり、というところは否定はしません。

そうはいってもこの先10年20年後には、こういったものでコミュニケーションを取ることもない社会になるんだろうな、と思います。